〜経営理念に基づくマネジメント〜
 
おじゃまします  ―協豊会 川田関西地区代表副会長に聞くー


 
協豊会広報委員会は11月10日、トヨタ会館にある協豊会会議室において、川田関西地区代表副会長(セーレン梶@代表取締役社長)にインタビューを行いました。  
 セーレンさんは、高品質のカーインテリア資材を生産・供給されている世界有数の自動車部品メーカーです。自動車分野だけではなくエレクトロニクス分野、メディカル分野、ハウジング分野など多岐にわたる分野で各種事業を展開されています。  
 川田代表副会長には「経営理念に基づくマネジメント」というテーマを中心にお話を伺いました。


川田関西地区代表副会長

◆セーレンさんの会社概況、沿革についてお聞かせ下さい。
 創業は明治22年、現在118年目です。
 会社としては大変古く、世の中が急激に変化している中、古いというのは非常にアゲインストでハンデがあります。古い体質・DNAで新しい時代に対応していかなければならないのですが、変えられないことが沢山あります。
 それから繊維産業というのは斜陽産業でありまして、厳しい業界です。
 この基本的スタンスとアゲインストをどうするか、生き残るためにこのアゲインストをどう克服するか、大変苦労しております。

◆経営理念に基づくマネジメントについてお聞かせ下さい。
 過去繊維産業は日本の基幹産業で外貨を稼いでいましたが、1971年のニクソンショックから斜陽化しました。その頃アメリカ市場が一番大きな市場でした。その後73年に第二次オイルショック、85年にプラザ合意がありまして、そこで円高で決定的になりました。
 その頃私どもは繊維産業の中で仕事をしており、そのたびに『大変だ、大変だ、このままでは生き残れないぞ、改革、改革』と言っておりました。言っているだけで具体的改革は進まず、87年にいよいよ今まで100年以上蓄積した資産関係をほとんど売り払い、このままでは企業の存続が難しいと大騒ぎになりました。
 当時は、古い会社ですから年功序列で次の社長、その次の社長が決まっているような感じでしたが、そんな事を言っていられない状況で、突如として私のところにバトンが飛んでまいりました。当時47歳で役員の中では一番若く、社長のバトンが飛んでくるとは社員も私自身も、誰も思っていませんでした。
 社長になりまして「とにかく生き残るためには何をやらねばならないか?」を考えました。命を掛けて、生き残りを掛けた仕事をやらないと無理だと感じました。

 繊維産業が斜陽化になる中で、私どもはたまたま自動車産業・トヨタさんと関わりがありました。
 1975年頃から自動車メーカーさんと取引を始め、それまではずっと内装材が塩化ビニルで、付加価値を高める事を考えていきたいということですが、当時は「繊維はダメ、10年の間に色が変わる」、繊維に対するそういう観念を持たれていました。
 その頃我々繊維産業の体質そのものが、自動車産業と比べると非常に遅れていました。まず技術が工程毎に分散されており、糸を紡ぐとか、あるいは機械屋さんや自動車みたいに「Just-in-Time」とか、「トータル品質・コスト」とか、コントロールできない状況でした。トヨタさんとの関わりの中で教育を受け、繊維産業がいかに非常識かということを我々なりに肌で感じました。

 87年、社長のバトンを引き継いだ時、「まず繊維産業の非常識を常識化する」、この事を徹底的に改革し、ひっくり返していこうと考えました。
 それまで繊維産業は会社が儲からなくても旧態依然とした流れが主流で、いくら会社の中でそういったことを言ってもふるいにかけてもらえませんでした。
 『自動車産業』というのは工業化の最先端をいく産業であり、『繊維産業』というのは、糸作り、綿・麻など年に一回収穫し、一年掛かりで売れるかどうかが判る、これが繊維産業の常識だった訳です。工業化の最先端をいく産業と、農業的発想の産業とのギャップは大きく、大変苦労致しました。87年にトヨタさんから指導を受けた工業的発想、そういう生産を取り入れる事、分散している工程を一貫体制で内製化・流通ができないか、これは繊維産業では非常識だったのです。業界の中では反発も大きく、今までのお客様の中には『そういう非常識なところには発注できない』と転注されるところもあり、いよいよ生き残れないかな、とも思いました。しかし、結果的に今では、糸作りから生産・販売まで一貫体制をもっているのが我々の差別化の一つになっております。

  自動車産業との関わりはありましたが、「繊維産業=衣料・ファッション」にこだわっていましたので、100年間蓄積したシ−ズが広まっていかない。「繊維・ファッションは将来性がない」と判断し、改革としては100年培ってきた技術を「非衣装・非繊維に活かせないか?」と考えました。家電関係含めエレクトロニクス、ハウジング、メディカル、自動車、こういうジャンルの中で繊維のシーズを紹介しても「繊維でできるのですか?」と、業種間のコミュニケーションが上手くいっていませんでしたが、結果的には繊維業界の中では非常識を進みました。

 繊維業界の中で変わったのはITです。繊維産業はデザインとか色とか「感性」なんです。アナログの世界でコンピュータを使う、ITを使うことができないか?と考えました。
 デザイナーの皆様から『人間の感性がデジタル化できる訳がない』、『我々の感性を何だと思っている』、とお叱りを受けました。結果的には情報技術・コンピュータ技術・通信技術などが急激に発展しまして、具体的に可能になり、今ではIT化も業界の中で一つの差別化となっています。
 
 我々が「非常識」と感じるところをいろいろチャレンジしてきた結果、今の生き残りに繋がっており、私が社長となって20年と長いのですが、存亡の危機から生き残りが見えてきたかなと感じます。

  会社を変えるというのは時間が掛かります。短期間で革命をやると非常にリスクがあり、社員の変化・理解を積み重ね20年間我慢しながら変えてきましたが、時間を掛けたのが良かったと思います。
 ノウハウの固まりでしたから皆が感性で仕事をしており、マニュアル化・見える化・デジタル化に少しずつ変えていくのにも、相当抵抗を受けました。

  トヨタさんから指導を受けたのですが、マネジメントの基本は、やはり現場です。  我々「5ゲン主義」と呼んでいますが、「現場」・「現物」・「現実」が、「原理」・「原則」通り仕事ができているか?全て現場に目線を合わせています。 現場で事故なり問題が発生すれば、これは管理者・役員の責任です。
・事故が起こればマニュアルがあるのかないのか?
・マニュアルがなければ管理者の責任。
・マニュアルがあっても事故が起きればマニュアル通りできていたかどうか。
・マニュアル通りやって事故が起きればそれは大きな問題。
・マニュアル通りできていなければ、できるようにしていない管理者の責任。
  原理・原則通り仕事ができているかどうか、全て管理職・役員の責任と仕事です。そうすると、管理職、役員の現場を見る目が変わってきます。問題が起きたらどうするか、問題を起こさないようにどうするかを考えています。
 昔は、担当者が、問題を見つけました、と報告すると、「何をやっているんだ」と上司から叱られましたが、今は問題を顕在化すれば成果制度に反映する事としています。
 どんな事でも良いんです。1件300円、中身によっては五千円、一万円など、成果評価を行います。とにかく問題点を顕在化し、その顕在化した問題を解決するのが管理職・役員の仕事です。
 この制度導入後、問題がすごく出てきまして、出てきた問題点を管理職・役員が潰していかなければならないですから、中間管理職がものすごく忙しくなり、仕事するようになりました。我々トップ・中間管理職が仕事をするようになってきて、会社が変わってきました。昔は組合から『課長・部長は何をしているのですか?』と言われたことがあったのですが、今は『課長が、部長が、役員が、一番大変ですね』と言われるようになりました。

 中間管理職が一生懸命仕事できる環境づくり、これが会社にとって一番良い形になるのだと思います。ここ7〜8年、問題顕在化にて年間20億円前後の効果がでており、今でもなかなかなくならない。成果を見える形にした事で 次のステップアップに繋がる。まだまだ一人前の会社にはなっていませんけど、レベルは上がってきたと実感しており、もうワンランクアップしよう、そういった感じで良くなっています。
 もう一つ私の基本的な考え方は、人間はあんまり管理されたくない、上からガミガミ言われたくない、ということです。仕事の「自主性」・「責任感」・「使命感」、この3つをしっかり肌で、体で感じてもらいたい。これがあれば、あとは自由にやってもらって良いと考えています。「のびのび・いきいき・ぴちぴち」と我々は呼んでいますが、これを解らずやりますと、成果に繋がらないし、評価に繋がりません。解っている人は成果も挙がるし、評価も上がります。誰が解っていないか具体的に出てきますし、解りやすいです。会社の中でどんどん成果が沸いてくるような感じです。社員皆、かなり好きなことをやっていますよ。
 

    お話を聞く   信貴広報委員長 (住友電気工業梶@常務執行役員):左 
              勝丸広報副委員長(西川ゴム工業梶@取締役)


◆グローバルな事業展開についてお聞かせ下さい。
 1990年代ベルリンの壁が破れ、資本主義経済の人口が急に増えました。
 グローバル化が一気に進み世界的競争が始まり、ITが相当進み、非常に世界が狭くなりました。
  私どもは「ビスコテックスシステム」というのを開発しまして、オンネットにて世界中の情報をやり取りし、日本でボタンを押すとアメリカの機械が動いている、そういったことが現実味を帯びてきました。実際はあと5〜6年掛かるでしょうが、その時にがらっと変わると思います。世界で時間差・距離感なしで物が作れる、情報のやり取りが行われる、そういう中で、日本で仕事するのもニューヨーク・パリで仕事するのも、同じ人間で仕事ができるように育てなければなりません。IT化を踏まえ、システム化されたグローバル化を是非進めていきたいと考えています。

 今の大量生産からカスタマイズへ、大衆から固衆へと変わり、今までの、物を作るだけ、売るだけ、では難しく、物を作って売る、両面の機能をもっていないと、情報化についていけないと思います。先行しているのは自動車産業ですから、それについていくように、ITとグローバル化、この辺をしっかり進め、世界中どこへでも供給できる拠点作りを進めています。

◆関西地区代表副会長として協豊会活動についてのお考え、メッセージをお聞かせ下さい。
 双方向コミュニケーションに尽きるのではないでしょうか。
 トヨタ自動車さんの情報をしっかり頂き、その中で協豊会の各企業が自分でリスクをもって対応していく、それ以上の関係でもないし、それ以下の関係でもないと思っています。自己責任ということについては、改善を煽っていかなければならないと考えています。生産に対する基本的な考え方、トヨタ式、トヨタウェイ、そういうものをしっかり理解することです。
 我々も経営のあり方、仕事のやり方など大変勉強・参考にさせて頂いており、協豊会のメンバーにとっても大変プラスになると感じているのではないでしょうか。いろんな意味で、トヨタさんの指導的な状況、生産のやり方、オープンにして頂いていますし、協豊会のメンバー各社、感謝しています。トヨタさん独特のシステム、形なのでしょうが非常に良い形になっていますし、デメリットはほとんど感じていない。
 協豊会の会議は非常に緊張もしますし、そういう緊張感も良いのではないかと思います。

 
◆ご趣味・座右の銘をお聞かせ下さい。
 今、趣味の世界は楽しめないですね。
  その中で本は良いですね、勉強になります。移動する機会が多く、何でも手当たり次第読みますが、ただ最近は読み出すと眠くなる。
  ゴルフは趣味・仕事を兼ねています。先日は協豊会のコンペで優勝してしまいまして、“お客様のコンペで優勝してはいかん”という社長方針があるのですが、社長自らが破ってしまい、示しがつかない状況です(笑)。
  座右の名というのでもないのですが、『先憂後楽』、苦労は先にすれば楽は後から着いてくる、いつになったら楽が着いてくるのか想像がつきませんが、目先の辛いことを一生懸命やっていく、今はそういった気持ちです。



川田代表副会長を囲んで

 本日はお忙しい所、ありがとうございました。

協豊会タイム